連載・トピックス / 不動産投資

空間と心のディペンデンシー

広い家は良い家か?

2019/04/17 遠山高史

文/遠山高史

娘夫婦が家を探しているという話があった。頭金の協力をするのはやぶさかではないが、昔からせっかちなところがあったので、よく吟味するよう忠告した。

その際に、気になったのが「広い家」というキーワードである。娘が「広くて、天井が高い家」としきりに言うので、「広い家がそんなに良いものか」と思った次第である。

知人の話――。

長男夫婦が、大げんかをして離婚寸前になった。長男夫婦の住まいは、2LDKのさほど広くないマンションなため、離婚寸前になった険悪な二人を収めておくにはかなり狭い。

そのため長男から、しばらく父親宅に泊めてもらえないだろうかと頼まれたという。しかし、すでに次男の家族と同居しているし、戸建てとはいえ、空いている部屋があるわけでもない。とてもそんなスペースはない。聞けば、外泊を繰り返し、妻とはもう1か月近くもまともに会話をしておらず、ホテルに泊まるのも金銭的に限界とのこと。

知人は最悪の結果も考えたそうだが、説教混じりに、長男のためのスペースはなく、マンションにきちんと帰り、仲直りをするようにと伝えた。


数日後、心配なって連絡をすると、あっさり「仲直りした」という返答。理由を聞けば、険悪な状態であるがゆえに、妻のほうも掃除もおろそかになり、部屋は散らかり放題。場所が選べず、仕方なしに布団を並べて寝たところ、少しずつ会話が戻り、最終的に双方、一体何に腹を立てていたのか忘れてしまっていた、らしい。

憮然としながら話す知人の顔に、安堵の色が垣間見られたのは言うまでもない。狭い部屋が夫婦の諍いを収めたというのは面白い。もしも「広い家」に住んでいたら、この夫婦の距離は縮まず、別の結果になっていたかもしれない。

「広い=空間が余っている」ということは、すなわち逃げ場があるという事である。私的な空間を作りやすく、それゆえに、孤立できてしまい、家族の関係性が希薄になるという危険性を秘めている。確かに、自分以外の人間と同じ空間で生活するのは、面倒も多いし、気も遣う。

しかし、もともと、人間は群れで生きる動物である。互いに刺激しあい、密接な関係性を構築することこそ、人間の幸せの根源のように思う。

家族は、関係性の基本の単位だと思えば、狭い部屋で身を寄せ合いながら、食卓を囲み、テレビを観るのは重要なことである。どんな立派な邸宅であっても、ろくな会話もなく、帰宅してすぐに個室にこもれるような状態は、一見快適に見えるかもしれないが、「自然」ではない。したがって、精神にプラスに働くはずもない。

精神医学云々の前に、どちらが群れる動物としての自然な在り方かと言い換えてもいい。モデルルームをそのまま写し取ったような広々としたダイニングが、畳敷きの狭い六畳間よりも、家族にとってよいかどうかは、疑わしい。

後日、知人の話を娘にしてやろうと思ったが、「広い家」は掃除が大変面倒だということに気が付いたそうで、すっかりやる気を失っていた。当分資金の協力はせずに済みそうである。

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