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因果はめぐる? 地味に引き継がれてきた織田信長直系の意外な血脈(1/2ページ)

菊地浩之菊地浩之

2019/07/19

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清洲公園の織田信長公像/©︎mtaira・123RF

先年、某週刊誌で織田信長の直系の子孫・18代目に当たる織田信孝氏が連載手記を発表していた。しかし、この信孝氏。実は信長の血を受け継いだ子孫ではない。信孝氏の曾祖父が夫婦養子で、織田家の血筋をまったく受けていないのだ(ご本人も過去の雑誌記事で認めておられる)。

通常、信長の直系の子孫といえば、次男・織田信雄の家系ということになっている。信雄の5男・高長の子孫が丹波柏原藩2万石の大名となり、信孝氏は高長系の16代目(つまり、信長から数えて18代目)になるのだ。

養子の養子で引き継がれる大名家の「家」

江戸中期にもなると、大名家では藩祖の血筋も絶え、他家から養子を迎えることが珍しくなくなる。信孝氏の曾祖父・織田信親(のぶちか)も、交代寄合(大名家に準ずる参勤交代のある旗本)・山崎治正(はるまさ)の長男として生まれ、末期養子として急遽織田家に迎えられたのだ。

なぜ山崎治正の子に白羽の矢が立ったかといえば、2代前の織田信敬(のぶのり)の実姉が山崎治正の後妻になっていたからだと推測される。

では、山崎治正とは何者なのか。そして、山崎家とはどんな家系なのか。

山崎家は近江(滋賀県)山崎を発祥とし、近江半国守護・六角氏に代々仕え、山崎片家(かたいえ)が信長、秀吉の家臣となり、その孫・山崎家治は讃岐丸亀藩五万石を領した。孫の治頼に嗣子がなく改易されたが、家治の次男・山崎豊治が備中成羽に5000石を分与され、その子孫は交代寄合に列した。山崎治正は豊治から数えて11代目に当たる。

ところが、この山崎治正もまた養子なのである。母親が山崎家の出身で、前当主の甥にあたることから山崎家の養子に迎えられたらしい。山崎治正の実父は平野長興(ながおき)という。

では、平野長興とは何者なのか。そして、平野家とはどんな家系なのか。

平野家の先祖・平野長泰は「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられた秀吉の家臣で、2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』で、主人公・真田信繁(幸村)の喰えない上司として、俳優・近藤芳正が演じた、あの平野長泰である。

秀吉の死後、長泰は関ヶ原の合戦で東軍につき、大和田原本に5000石を安堵され、子孫は交代寄合に列した。山崎家とは同じ交代寄合ということで、姻戚関係にあったのだろう。

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この記事を書いた人

1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。

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