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「家」の研究――黒田家

暗愚、押しつけ養子、早世、すり替え…天下の軍師の家も跡継ぎはままならず

2019/10/25 菊地浩之

文/菊地浩之

跡継ぎをめぐる“お家騒動”で存亡の危機に

2014年NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公・黒田官兵衛孝高(くろだ かんべえ よしたか。実際は「かんびょうえ」だったらしい。ドラマでは岡田准一)は姫路という遠方にありながら、いち早く織田信長の擡頭(たいとう)を予見し、秀吉に仕えて稀代の策士と称された。
その子・黒田長政(ながまさ。ドラマでは松坂桃李)も父同様の策士ぶりを発揮。関ヶ原の合戦において、調略を以て福島正則、小早川秀秋らを家康陣営に引き込み、徳川の天下取りに大きく貢献。中津18万石から、一躍、福岡藩53万9000石に大出世した。
ちなみに、福岡というのは、もともと黒田家の先祖が住んでいた岡山辺りの地名で、長政が城を建てて命名したものだ。同地はもともと博多と呼ばれた貿易都市で、1889年の市制施行の際には市の名称を「福岡」にするか「博多」にするかで揉めに揉め、市議会で採決したところ賛否同数で、議長裁決で「福岡市」になったという。

さて、黒田家は、官兵衛、長政と策士が続いた家系ではあったが、長政の子・黒田忠之(ただゆき)は暗愚(あんぐ。おバカ)だったという。長政は忠之の廃嫡(跡取りから外すこと)を考えたが、筆頭家老・栗山利安(としやす。ドラマでは濱田岳)らの諫言で取りやめたという噂があるほどだった。
しかし、やっぱり忠之は暗愚で、高禄の重臣らに次々と言いがかりをつけて減封したり、取り潰したりする一方、お気に入りの側近を取りたてるなど、やりたい放題だった。
遂には、どうにかしようと立ち上がった家老の栗山大膳(だいぜん。利安の子)と確執に及んで、幕府に知られてしまう。大名と重臣が大げんかして、幕府からお灸を据えられる。いわゆる「御家(おいえ)騒動」というヤツだ。
この黒田家の御家騒動は「黒田騒動」と呼ばれ、江戸時代の三大御家騒動の一つといわれている。御家騒動はヘタをすると、お取りつぶしへと繋がりかねない。折も折、お隣の熊本藩では、加藤清正の遺児がやっぱり暗愚でお取りつぶしになったばかりだった。しかし、幕府の裁定により、福岡藩・黒田家最大の危機は、栗山大膳と忠之の側近が遠方に飛ばされることで決着した。

6代目で途絶えた官兵衛の血筋、あとは何でもありでお家存亡

そんなわけで、黒田家はどうにか続いていったのだが、長政から数えて6代目で血脈が途絶えてしまう。

6代・黒田継高(つぐたか)の男子が相次いで死去してしまい、外孫(娘の子)から養子を選ぶべく交渉していた。ところが、ここで「御三卿」(ごさんきょう)の一橋徳川宗尹(むねただ)が自分の5男を黒田家の養子へと自薦してきた。宗尹は長男と3男を越前松平家の養子に出し、4男を跡継ぎにしたものの、まだ5男が残っており、どこかの有力大名の養子に押し付けようと虎視眈々と狙っていたのだ。
余りの強引なやり方に、継高は数ヶ月保留し、ささやかな抵抗を試みるが、結局押し切られてしまう。かくて、宗尹の5男・黒田治之(はるゆき)が7代藩主となった。
ところが、その治之は在位12年、わずか30歳で死去してしまう。おいおい、あの騒動は何だったのかよ。しかし、重臣たちは呆れているヒマなどなかった。治之に跡継ぎがいなかったからである。跡継ぎがいないまま、藩主が死去すると、無嗣廃絶(むしはいぜつ)。これもお取りつぶしになってしまう。そこで、重臣たちは治之の死を秘匿したまま、京極家から養子を迎えて、素知らぬ顔で世代交代を報告する(京極家は鎌倉幕府以来の名門で、黒田家はその分家筋だと名乗っている)。
ところが、その養子も半年後に死去。再度、一橋徳川家から黒田斉隆(なりたか)という養子を押し付けられるが、これもわずか19歳で死去してしまう。
19歳で死去したが、斉隆には幸い子どもがいた。黒田斉清(なりきよ)である。しかし、実際は斉隆の子が女子だったため、黒田一族の子どもを連れてきて、すり替えたのではないかといわれている。もう無茶苦茶である。
そして、斉清もやはり男子に恵まれなかった。福岡藩では度々にわたる一橋徳川家からの「押し付け養子」に辟易(へきえき)しており、他の有力大名の子弟を物色し、薩摩藩主・島津重豪(しげひで)の9男を選んだ。黒田長溥(ながひろ)である。これには後日談がある。長溥は養子になった後、しばらく養父・斉清と面会できなかったという。父子間を疎遠にさせて、ふたたび「御三卿」から黒田家へ「押し付け養子」を送り込もうとする陰謀があったからだという。

結局、黒田家の子孫はどうなったのか?

薩摩の島津家といえば、2018年の大河ドラマ「西郷(せご)どん」にも出てきた、幕末薩摩の英邁君主・島津斉彬(なりあきら。ドラマでは渡辺謙)が有名である。斉彬は長溥の兄の曾孫にあたるが、二人はわずか2歳しか違わず仲がよく、福岡藩と薩摩藩も親密な関係を深めていく。
ところが、斉彬が死んで、異母弟・島津久光(ひさみつ。ドラマでは青木崇高)が藩政を掌握すると、長溥は久光とそりが合わず、一転して福岡藩と薩摩藩は対立するようになってしまう。それが理由で、福岡藩は討幕運動に乗り遅れてしまったという説がある。そんなわけで、長溥は斉彬とキャラクターが似ていたようだが、地元福岡での評価は余りよくないらしい。
長溥にも子がなかったが、時は幕末で、幕府も「御三卿」から養子を押し付けるような力はなくなっていた。そこで、津(つ)藩主・藤堂高猷(とうどう たかゆき)の3男・黒田長知(ながとも)を養子に迎えた。戦国時代に活躍した藤堂高虎(たかとら)の子孫である(血筋としては、高虎の弟の末裔)。
長知以降、黒田家は男子が続き、他家から養子を迎えることなく、現代に至っている。
実は、藩祖・黒田長政は、藤堂高虎のことを嫌っていたのだという。嫌いなヤツの子孫が、自分の子孫になるとは思ってもみなかったに違いない。

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